ひどい風邪をひいた。上質な痰製造機の気分
強い揺れがあった、あせる。大きな被害がなくて安心した。
傷つける。いとも簡単に、傷つける。
自分でも冷静なほどに。
買うほどに溜まっていくのは決して物だけは無い
想いも溜まっていくのだと最近感じた。
それは練習もしかり、出来なかったことが出来る。それは喜びだ。
空間を共にする、空気を震わす、頭の神経を変えていく。
そうすれば自ずと自らが変わっていく。
強大な力は、ただ力を教示、誇示するのではなく、繊細さ、正確さを維持する。
結局はパフォーマンスを表現する、スキルの一つだと学んだ。
筋肉は結局、楽するための道具だと聞いたことがある。それも一理
しかし、それを打ち砕き、破裂して、ダメッジをうけて新たに進化することも必要なのだろう。
継続とは辛い事だ。
練習は孤独であり評価など、誰も、何処もしてくれない。
自己満足、そこに尽きるのかもしれないけど、それでも孤独で不安は尽きない。
個人的な事を言えば、ソロでやることは自信がない。
喉を使い、空気を震わすことはできる。しかしそこには、アンプで出した。
狂気、高音や低音、ノイズや、指先または硬質プラシチックからでた、狂気は表現出来ない。
まして、金属の円盤や、固められた空気を囲む金属の太鼓を打つ、シングルのペダルが響かかせる、蠢きも表現は出来ない
結局、自分は孤独である、日常もしかり。
その事実に対して逃げるか、否。
鋼鉄の鎧を纏い、自らの弱さをさらけ出し、戦いを挑むことが音楽なのであろう。
パンチョスはメンバーであり、音である。
個々が醸し出す音楽、痺れ、狂気、振動となり。鼓膜やら、神経、脳みそ肉体に吐出し、飛び出て突き刺すのであろう。
結果として、dr.kumiは脱退しました。
そして、残ったものは日和るのではなく、前に進んでいく。
それが責任というか、bandっていうジャンキーに残された存在意義だと思っています。
いままでどうもありがとう。
そして仙台FLYING SON
奴が返ってきます。久々です。お楽しみにどうぞ。
jun